追悼「ビル・エバンス」9.15の命日に寄せて

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バップライフサックス教室 代表の髙橋浩明です。http://www.bop-life.info/lesson/

 

今回のblogでは私がいま最も研究したいと思っているプレイヤーの一人であり、翌日9月15日が42回目の命日になる偉大なJazz Pianist「ビル・エバンス」について、主に最初期の所謂「ファースト・トリオ」までの事についてお話をさせて頂きたいと思います。

 

ソフトで美しい音の重なり、時に攻撃的な力強いプレイは死後40年以上経過した現在でも、人々を魅了し続けています。同時期に活躍した「オスカー・ピーターソン」「エロル・ガーナー」「セロニアス・モンク」等のピアニストとも一線を画し、その風貌から繊細なイメージも与えます。

その存在感は後に活躍する「チック・コリア」「ハービー・ハンコック」「キース・ジャレット」と、言った次世代のアーティストに多大なる影響を与えたと言われています。

 

1929年8月16日アメリカニュージャージー州プレインフィールドで生まれた「ビル・エバンス」は幼い頃から兄と共にピアノでクラッシック音楽を学び始めます。

1950年サウスイースタン・ルイジアナ大学を卒業後、アメリカ陸軍に召集されました。この時に生涯に渡る悪癖で死の原因となる「ヘロインの常習」が始まったのです。アルバムのジャケット写真等からはシリアスなイメージのエバンスですが、口を開けると薬物乱用の影響で歯ががたがただった為に口を閉じていた?と、言った説もあります。

 

兵役終了後の1954年以降から、ニューヨークで音楽活動を開始。様々な出会いの中で頭角を現し、1959年にはジャズアルバムの金字塔「カインド・オブ・ブルー」のレコーディングにマイルス・デイヴィスの呼びかけで参加しています。

様々な理由から一度退団したエバンスをこのレコーディングの為に再び呼び戻しているマイルス・デーヴィス。このことからも如何に「カインド・オブ・ブルー」に、エバンスが必要であったか?を垣間見ることが出来ます。※マイルス・デーヴィスについては近日中にblogでも詳しくはお話しする予定です。

 

同年の1954年はエバンスの最初のピークとも言える、歴史的な「トリオ」を結成しています。

ドラムス:ポール・モチアン

ベース:スコット・ラファロ

と、組んだピアノトリオは今までのこのフォーマットの概念を根底から覆す、全く新しいスタイルでピアノトリオの今までの在り方に風穴を開けたのです。まるで三人の奏者が対等に会話を楽しんでいる!と、さえ感じられるスタイルはエポックメイキングな出来事でした。

エバンスは左利きでしたので、自在に動き回るラファロのベースラインとの相性がかなりマッチしたのでは?と、推察されるます。モチアンの個性的なブラシワークは正に2人の会話に無くてはならないお膳立てを提供しました。

 

因みにこのトリオで収録された大名盤。

アルバムタイトルにもなっているエバンスの代表曲「ワルツ・フォー・デヴィ」は、お兄さん(ハーリー・エバンス)の娘の名前にちなんだ曲なのだそうです。

 

残念ながら、ベース:スコット・ラファロの交通事故死によって僅か2年でファースト・トリオの活動は突然の終焉を迎えます。歴史に残るリバーサイドレーベルから出ているアルバムは永遠に人々を魅了し続けるでしょう。

 

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